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2014/03/11//Tue.
がんばろう日本 
鶴マークa_DSC9830

_DSC9954a.jpg

「がんばろう日本」号です。

自然災害の前では、人々は助け合いました。

私も阪神大震災の時は、見も知らない人に、
「お手伝いすることはありませんか?」と声をかけあいました。
もちろん私も覚えていられないほどの人々に
あらゆる場所で声をかけていただきました。
その当時は、関西と関東の震災に対する思いの差を感じ、
はがゆい思いもしましたが、
支え合う見知らぬ人々の暖かい心に
慰められ癒されました。

東日本大震災から三年目です。

仙台に向かう飛行機から見た田園風景は、
代掻きをしている田んぼからの輝きや、
海岸沿いに延々と続く美しい松林があったことです。
青い海の際に延々と続く色い砂浜と深緑の松林のコントラストに
飛行機から見下ろし感激をしました。

去年(2013年)、
山口県で乗ったタクシーの運転手さんと、偶然にお喋りをしました。
何気なく「阪神大震災でこちらに来たんです。」と、言われました。
あまりの話の展開に驚きながらも
私も箕面の自宅の窓の外に見えた
伊丹や神戸の事をお話ししました。
我が家の周辺でも被害を受けていても
皆さんは、「まず」神戸の応援に出掛けていました。

「あの時は、ありがとうね。」と、
震災の時のお礼を言われました。

「こちらこそ。乗せていただき有難うございます。」
「震災の助け合いはお互い様です。」と、お返事をしました。

体験談を語ることで、ほっとします。
一人ではないと、連帯感も生まれます。
タクシーを降りるとき
これからも「お元気で、ごきげんよう。」と、
挨拶をかわしました。

千里中央周辺の公園でも、
いたる所に仮設住宅があった事を忘れかけています。
子供たちの笑い声が響いています。

東日本大震災も、決して忘れません。
マスコミなどが放送する震災情報は一部です。
限られた場所になり、
その陰で取り残された場所や人々がいます。
復興の進捗状況も一律ではありません。

あなたは、一人ではありません。

今もこれからも・・・・・・・・・・。
>> 2014/03/11 16:14
そうですね、阪神淡路大震災でも東日本大震災でも
報道されているのはごく一部ですよね・・・。

私の叔父夫婦や叔母家族は神戸に住んでいたので
当時は全壊状態でした。
ニュースを聞きまだ道路が封鎖される前にすぐに
駆けつけました、叔父家族は瓦礫の下から救い
出されたところでした。
とりあえず車で親戚の家に送り届け、次の日に
瓦礫を掘り起こし大事なものを取り出す事が出来ました。
それからは毎日西宮へ電車で救援物資を運び続けました。
今はどちらの家族も罹災者住宅の援助も打ち切られたので
公団住宅に住んでいますが、TVで報道されない色んな
問題がありましたよ。
そう言えば千里にも仮設住宅がありましたよね・・・
高齢者には辛い暮らしですね。


ヴィソラがキューズモールだったのー?!
箕面に住んでいて知りませんでした
ご近所ではみんないまだにカルフールって言ってますよ。
カルフールってなんやったんや。。。。

カメラを引っ張り出したら(1年半ぶり)動きませーん
やっぱり使わないとダメですね~
撮り方さえも忘れました(;^_^A
>> 2014/03/11 18:33
nokkoさん、こんにちは。
大震災の報道は、映像的に悲惨な場所がほとんどですね。
nokkoさんのご親戚も大変でしたね。知人も全壊状態で埋まり、屋根の間から星空を見たと後から聞きました。その方も近所の人に助け出されました。

あの日、「NHK大阪放送の大したことはありません。」を聞いて、「嘘。」と言いました。直ぐに電話も繋がらないと思い、即、「生きているから。大丈夫。」とだけ夫婦の親にそれぞれ連絡をしました。山口では、その後の映像を見ているので大変心配をしていました。やっと電話が繋がったのは1週間後でした。公衆電話なら繋がると聞いたからと公衆電話から両親の声を聞ききました。 懐かしい声に、緊張感が緩んだ瞬間でした。

ご親戚も無事に救出され本当におめでとうございます。素早い行動で頭が下がります。
電車で行けるとこまで行き、あとは歩きです。
マウンテンバイクなら瓦礫の残った道でも走れると聞くと急いで自転車を買いに行ったり、本当に思い出されます。
旦那が、会社関係の家族の家々を尋ねる時、私は、マンションの管理組合の手伝いです。このマンションもジョイント部分が壊れていたので、対応に追われました。しかも小学生の愚息が、「子供がえり」をし、「どこ行くの?」と追い回しました。

>それからは毎日西宮へ電車で救援物資を運び続けました。

自宅は、ごみ置き場のようにグチャグチャに散乱をしていました。靴がないと部屋を歩けません。
ピアノは、飛び壁にめり込み、400キロの水槽は揺れ動き大変でした。
(千中周辺のマンションも、給水塔が壊れて1週間も水が出ない場所がいっぱいありました。こんな事は、放送もされません。)

SS*Kで水やトイレットペーパー、生理用品、歯磨きなどをまとめて購入しようと、箱をどんどんと積み上げレジー前に並んでいました。
前の人が、振り向いて話しかけてこられます。
某師匠の奥様です。nokkoさんのご近所の方です。
「箕面からも救援物資のトラックを出しますが乗せますか?」と、声をかけて下さいました。
実は、もう会社のトラックに乗せるようにイナイチを走るトラックを手配をしていましのでそちらに乗せますとお返事をしました。
気さくにお声をかけられるので、こちらが驚きます。

>TVで報道されない色んな問題がありましたよ。

我が家もいろいろな問題をお聞きしました。

>そう言えば千里にも仮設住宅がありましたよね・・・
高齢者には辛い暮らしですね。

慣れない場所で一からの出発は、想像を絶したストレスですね。
震災直後は、「無事だったから。」と思いますが、
その後は、生活の立て直しに一喜一憂します。

私も新しい名前がでません。カルフールやヴィソラの方が、馴染みがあります。私の近所でもカルフールって言ってますよ。

>カルフールってなんやったんや。。。。

我が家のお客様用買い物籠だけが、黒舟の置き土産です。
他の籠より大きいので良く使います。

カメラは、修理ですか?修理が終わったらまた撮影をして下さいね。








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