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2010/04/25//Sun.
南明院の牡丹 京都市東山区
南明院DSC_2591
(撮影日 2010年4月24日)

私が、コーヒーを飲んでいると、
テーブルの向こうから声がかかってきました。

「土曜日、暇?」
それって、一緒に行こうと言いたいことだろうと思っていたら、
案の定、「京都の研究所に行きたいんだけど・・。」と、
さらに追い打ちを掛けてきました。

「美味しい物があり、風光明媚な場所への
お付き合いなら最高なんだけど・・・。」と、
思いながらもアッシーを引き受けることにしました。

昨日、目的地へ送り届けると私の時間です。
早速、車はコインパーキングに預け、
山吹が咲いている松尾神社など
嵐山方面に行こうかと思いながらも
若葉の東山山麓に魅せられて
新緑散策へと目的を変更です。

<今回のルート>
菅原道真の生誕した吉祥院から十条通りを油小路、竹田街道と抜けて、
鳥羽街道へと向かいました。
鴨川では、川岸に菜の花が咲き乱れ
東山山麓は、黄緑色、淡い緑色の若葉が目に飛び込んできます。

まずは、東福寺の塔頭光明院や永明院、南明院を散策し、
お稲荷さん(伏見稲荷)の奥の院など「お山巡り」をしました。
帰り道は、京都トレイルを使い東福寺の本殿へと抜けてみました。

女性の足で、徒歩のみ。
万歩計の数値は、23608歩

今回は、歩くことをメインにしたため撮影はあまりしていませんが、
画像は、南明院の境内で見た牡丹です。

この南明院では、
夫と離婚させられ、徳川家康と政略結婚させられた
豊臣秀吉の妹「旭姫」のお墓へお参りをしてきました。

旭姫が、家康に嫁いだ後、
母の病気見舞いを理由に上洛したそんな女心が伝わるお墓です。
同じ東山山麓にある豊臣秀吉の豊国廟とは対照的で、
この旭姫のお墓は、
お墓がならぶ一角にひっそりと建っており、
そんな旭姫の心を癒すように、
境内では、牡丹やキリシマツツジ、
ヤマホウシが、鮮やかに咲きそろっていました。

南明院の門前には、
「徳川家康公正室旭姫墓在院」と道標が建っており、
門をくぐると美しい石畳の先に旭姫のお墓があります。
お墓参りのつもりが、
美しい花々も見ることが出来たそんな南明院でした。

ちなみに豊臣秀吉の豊国廟のご紹介です。

阿弥陀ヶ峰の豊国廟と太閤坦

(静岡県瑞龍寺には、旭姫の供養塔があるそうです。)

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2010/04/22//Thu.
2010年 ガスに覆われた勝尾寺 箕面市
1勝尾寺DSC_2419

2勝尾寺DSC_2562

3勝尾寺DSC_2476
(枝垂れ桜と石楠花)

4勝尾寺DSC_2556

5勝尾寺DSC_2503

6勝尾寺DSC_2428

8勝尾寺DSC_2395
勝尾寺の境内が、
小ぬかの雨に降られ、
たゆたうガスに覆われると
芽吹いた新緑が、
ますます輝きます。

<勝尾寺について>

奈良末期神亀4年(727年)
善仲・善算両上人が草庵を構え、
光仁帝皇子開成(桓武帝の異母兄)が
弥勒寺と名付けました。

この寺の仏法の祈願力には
時の朝廷の権力も及ばず、
清和天皇の病気治癒を祈り
効験したので
王に勝った寺「勝王寺」の寺号を賜りました。

しかし、寺は「王」を「尾」にして、
「勝尾寺」(かつおうじ)と号しています。

1184年の源平合戦で焼け落ちましたが、
源頼朝が再建し、
現存する薬師堂は源頼朝、
本堂に山門は豊臣秀頼の再建です。

源氏・足利氏などの覇者が勝ち運を祈り、
今はスポーツや試験、選挙、商売など
勝負の勝運の寺としても有名です。

石の階段を上がると、境内では勝ちだるまが出迎えてくれます。

勝尾寺にあることば、
「すべては自分に勝つために」
誰に勝つより自分に勝つことが一番大切で難しいですね。
(パンフレットより)

2010/04/21//Wed.
2010年 万博公園の菜の花
万博DSC_0065
(撮影場所 大阪万博記念公園)

人々が桜を眺めながら
お花見で浮かれている頃、
私の大好きなこの場所では、
今年も菜の花に彩られた風景が見られました。

この丘に座りながら
葉の花の花言葉、
「小さな幸せ」を味わいたいです。

2010/04/21//Wed.
2010年 箕面市の桜まつり
箕面S桜まつりDSC_2059
(撮影場所 箕面市)

箕面s桜まつりDSC_2063

箕面では、今年も桜まつり開催され、
ソメイヨシノに提灯が並びました。

箕面s桜まつりDSC_2074
ビルなどが取り囲む公園ですが、
夜になるとソメイヨシノが、
提灯の明かりに染まり
幻想的な風景となりました。

2010/04/20//Tue.
2010年 勝尾寺の枝垂れ桜
4勝尾寺DSC_0089

2勝尾寺DSC_0101

3勝尾寺DSC_2240

1勝尾寺DSC_0094

5勝尾寺DSC_2293

6a勝尾寺DSC_2376

7勝尾寺DS7C_2327

8勝尾寺DSC_2221

約8万坪の境内がある勝尾寺には、
ヤマザクラやカンヒザクラなど、
おおよそ3000本もの桜が咲きます。

今年も大好きな枝垂れ桜を狙いたくて
訪れました。

(撮影日 2010年4月18日)

山吹は、例年より遅く感じました。
石楠花については、咲いている物もありましたが、
今年は、桜と一緒には撮影が出来ませんでした。
なおクリスマスローズと
ムスカリは、満開となっていました。








箕面市の勝尾寺
■ 桜特集 ■

箕面の猿と桜(3画像)

勝尾寺

勝尾寺の桜(22画像)

2007年勝尾寺の桜

2008年 勝尾寺

2009年 勝尾寺

2010/04/19//Mon.
2010年 勝尾寺の桜情報
勝尾寺DSC_0033
(撮影日 2010年4月18日)

古都のソメイヨシノなど里桜が散る頃、
勝尾寺の桜は見頃となります。

山門の傍らには大きな薄紅色の枝垂桜が咲き
私を出迎えてくれました。

先月から何度かお寺を訪れては、
お寺の方々とお話ししながら
山門横の枝垂れ桜の満開をチェックしていました。
しかし、今年は、4月の第2週の時期に
九州へ出掛けしまい満開日のツメが甘かったです。

昨日の参拝となりました。
社務所に入ると
さっそくお寺の方に「やっと見えましたね。
今日が、満開ですよ。」と、言われてしまいました。
説明写真になるように
手前のボケがいっぱいの画像をあげておきます。
その他の作品は、後日UPさせていただきます。
あしからずご了承下さい。

2010/04/17//Sat.
佐賀城本丸跡 県立佐賀城本丸歴史館
佐賀城本丸歴史館aDSC_0164
(50メートルの北廊下は、
歴史へのタイムトンネルです。)

佐賀城本丸跡には、
佐賀藩主「鍋島直正」が、
1838年に建てた本丸御殿を
復元した「県立佐賀城本丸歴史館」があります。

佐賀城本丸歴史館2DSC_0162

佐賀城本丸歴史館3DSC_0160

佐賀城本丸歴史館4DSC_0153

展示物は、幕末・維新期に活躍した佐賀藩を伝えるものでした。
幕末に佐賀藩が日本で初めて生産した「反射炉」や、
種痘などの紹介が展示されていました。

佐賀城本丸歴史館5DSC_0138
(撮影日 2010年4月13日 地面を染めるソメイヨシノ)

2010/04/16//Fri.
2010年 中之島の大噴水と桜
a2010桜の通り抜けDSC_0185

b中之島公会堂DSC_0007

c2010桜の通り抜けDSC_0184

大阪の新しいランドマークとなった
中之島の大噴水と、
桜の初競演です。

d中之島公会堂DSC_0006

e2010桜の通り抜けDSC_0163

(撮影日 2010年 大阪造幣局桜の通り抜け初日 4月14日)

2010/04/15//Thu.
花情報 2010年 大阪造幣局の桜の通り抜け情報
桜の通り抜け1DSC_0060

桜の通り抜け2DSC_0105

桜の通り抜け3DSC_0072

「大阪に桜の里あり 通り抜け」

桜の通り抜け4DSC_0044

今年も大阪の風物詩
「大阪造幣局の桜の通り抜け」が、
昨日から始まりました。
そので一昨日、大阪へ帰ってきたばかりなのですが、
アッシーをしたその足で大阪造幣局へと向かいました。

桜の通り抜け5DSC_0097
(今年は、朱塗りのめがね橋の横に道が出来たため
マスコミ関係のカメラや、
中継カメラなどが、数台ぼど並んでいました。)

南門から北門までの大川沿いの約560メートルの通りに、
127品種 354本の八重桜が咲き誇っていました。

桜の通り抜け6DSC_0051

桜の通り抜け7DSC_0055b

ちなみに毎年選ばれる「今年の花」は、
「都錦(みやこにしき)」でした。
花の色は、淡桃白色、花弁数は20枚程度です。
京都御所あった桜と言われています。

立ち止まらず撮影するため、
まずはISOをあげ、
レンズは、手ぶれ防止機能付きレンズを使いました。

レンズ、Nikon DX AF-S 18~200㎜ 1:3.5~5.6GⅡ 

2010/04/04//Sun.
露天神社「別名 お初天神」 大阪市北区 
aお初天神DSC_0046
創建1300年の歴史がある「露天神社」は、
ビルが建ち並ぶ梅田の摩天楼の谷間にあり、
しかも周囲の喧噪とは対照的に、
ほっとする境内です。

この時期の境内では、
各種のサクラが咲き、
仕事などのストレスを癒してくれるため、
絶えずスーツを着た会社員や、
就活の学生などが行き来します。

bお初天神DSC_0054

cお初天神DSC_0052

露天神社は、菅原道真公がこの場所で
歌を詠んだ事がいわれとも言われています。

「露と散る 涙は袖に 朽ちにけり 
都のことを 思い出づれば」

この「露天神社」は、あの「曽根崎心中」の舞台になった場所で
別名「お初天神」の名前でも親しまれています。
人々には、お初天神と呼ばれ愛されています。

dお初天神DSC_0066

内本町醤油屋平野屋の手代徳兵衛と
新地の遊女お初が、
この「曾根崎天神の森」で心中した出来事が
当時の話題となり、
近松門左衛門が、
「曽根崎心中」として劇化をしました。

eお初天神DSC_0049

そんな二人が旅立ったこの曾根崎の森では、
二人の魂が、
連理の枝のように枝を伸ばし
ネオン街で今も輝いています。

fお初天神DSC_0045

「この世の名残り、夜も名残り
死に行く身をたとうれば あだしが原の道の霜
ひとあしずつに消えて行く
夢の夢こそ哀れなれ

鐘の聞き納め・・・」(曽根崎心中より)

gお初天神DSC_0071

森の雫と散った徳兵衛は25才。
お初19歳の短い命でした。

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