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2006/01/29//Sun.
瑞鳳殿
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瑞鳳殿は、仙台藩初代藩主伊達政宗の霊屋で、桃山様式の豪華絢爛たる建築物です。
雪が深々と降りしきる中、その鮮やかな色彩は、ますます輝きを放ち趣がありました。
冬ならではの風情は、まさに幽玄の世界で、一人たたずみ経ヶ峯を後にしましたが、
老杉に囲まれた雪の参道を踏みしめる足音は、瑞鳳殿のエピローグでした。

「キュ、キュ・・・・・」

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2006/01/26//Thu.
瑞鳳寺(仙台)
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数年ぶりの大雪の仙台では、霊屋橋を渡り、
ラッセル車が走る街並みを眺めながら瑞鳳殿へ向かいました。
ブーツ姿の私を見てタクシーの運転手さんは、
下馬石前まで坂道を登って下さりました。
直ぐにタクシーを拾えそうにないので、
運転手さんへ
「待っていて下さい。」と、お願いをしてお参りをしました。
瑞鳳殿への参道の直ぐ左手には瑞鳳寺があります。

1636年に瑞鳳殿が建立された際に香華院として創建されたそうで
雪化粧の瑞鳳寺を撮影してきました。

2006/01/18//Wed.
緊急ヘリルート(関西)
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災害時に安否状況などの情報を一元化して欲しいと思っていました。
阪神大震災の時、各避難所を周り安否確認でした。
また福知山線の脱線事故でも、知人の方が、
個人保護法の壁により、一日が過ぎてもなかなか安否を確認することが出来ず、
各病院を探しまわられ、阪神大震災とだぶりました。
安否確認では、震災の経験はいかされませんでしたが、
2006年1月18日の福知山事故報告では、やっと安否情報の共有をルール化しようと言う報告があります。
ささやかですが一歩前進しました。

ちなみに今の場所で震災に遭いました。
気象庁との公開震度は最初4。
実際周辺では亡くなられた方もあり5強・6弱とも言われています。
(その当時、市町村ごとに地震計が設置されていませんでした。)
大阪の北部ですが、21型のテレビは部屋の端から端へ、
400キロの120㌢の水槽もずれ、ピアノが壁にめりこみました。
この辺りは、テレビに登場しませんでしたが大なり小なりの被害がありました。

人間は、地震を避けることは出来ませんが、震災の被害拡大を抑える努力が大切です。
震災で学んだ事は、人の強さと、温かさです。

震災時、自宅のベランダ前では、患者を搬送するヘリや物資を運ぶヘリが飛びかいました。
今回は、その当時の画像はありませんので、
総理が視察に出掛ける時の画像と、
先日米国大統領が来日した時のヘリの光跡をUPします。

このルートは、震災や、事故、事件、そして臓器移植など緊急時に使われる飛行空路です。

(大阪国際空港にエアフォースワンVC-25で降り立った大統領が、
ロッテのボビー監督らと挨拶した後、
専用ヘリ「マリン・ワン」で京都御苑の迎賓館に向かう画像です。
アメリカ大統領を乗せた、専用ヘリ「マリン・ワン」は、2機飛んでいました。その前を飛ぶ3機の小型のヘリとは大きさが違いました。)

2006/01/18//Wed.
生田神社(神戸)
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生田神社は、神戸の繁華街の西宮にあり、
「日本書紀」にも登場する由緒ある古社です。
日本書紀では、神功皇后の新羅遠征の帰還の途、船が進まなくなったことから祀られたとあります。

画像のように、阪神淡路大震災で倒壊した本殿や鳥居が建て替えられています。
拝殿が大屋根だけを残して地に崩れた姿を思い出します。
なお弁慶が義経の代理として参拝したときに奉納した竹もあります。
(阪神大震災から11年目です。)

2006/01/15//Sun.
津和野・山口 SL 貴婦人
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山口線を走るSLは、3月から11月まで運行をしています。
今のシーズンは、走っていないと思っていると、
津和野の町並みやいたる所で、ジュラルミンのケースに三脚を持ったカメラマンが目につき、私の脳裏にかすめたものは、

「ひょっとしてSL?」

シーズンを外れているとあきらめていたのですが、期待感高まり、
望遠レンズにテレコンを入れて手持ちで待つこと10分。
「初詣SL」が、汽笛を鳴らし、蒸気をはきながら勇士を見せてくれました。

初詣SLは、
1月1日「SL 津和野稲成2号」 
津和野15:00発、新山口16:42着でした。
お稲荷様に失礼をして、境内から「初撮り」をしました。

「C571」は、愛称「貴婦人」として新山口駅から津和野まで62.9キロメートルを約2時間かけて走っています。
以前、電車が大好きな子供の夢につき合い、旧小郡駅から津和野駅までの往復を満喫しました。
撮影スポットは、
仁保駅から篠目駅までの区間は、上り勾配
が続くため、ぐっと速度が落ちます。
数十年前に紹介された場所で今も出掛けたい場所です。
また、道の駅長門峡辺りも素敵なスポットで、鉄橋も最高のロケーションでカメラマンがいっぱいです。
昔は、ニュー田中で御茶を飲みお喋りをしながらSLを待ちながら撮影をしていました。
今回は、山間を反対側から630㎜のレンズで狙っています。
よく見ると雪の上にカメラマンがいっぱいでした。
でも新山口発津和野行きを正面から撮影したかったです。
(三脚なしの手持ち撮影です。)

2006/01/15//Sun.
津和野「太皷谷稲成神社」
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山陰の小京都「津和野」は、
SLの汽笛が遠くから木霊をし、
山間に白壁と赤い瓦、
そして昔の門構えの町並みが続く島根県の町です。

蒙古の襲来に供えた津和野城址や、森鴎外の旧宅、
西周の旧居、キリシタン教徒が殉教した「乙女峠 マリア聖堂」などの他に、色々な美術館などもあります。
また「永明寺」には、大阪の夏の陣の時、
炎の中から家康の孫千姫を救い出しながら、
千姫を嫁にやると言う約束を反故にされ自害をした
坂崎出羽守の墓と森鴎外の墓があります。
なお藩校「養老館」などもあり昔の町並みが見られる「殿町」の道沿いでは、
清流が流れ錦鯉が群れ白壁に彩りを添えています。
花菖蒲など四季の花を楽しめます。
桜や紅葉、新緑の季節も素敵な場所です。

久し振りに雪景色中、
日本五大稲荷の一つ、太皷谷稲成神社に初詣に出掛けました。
トンネルのように続く赤い鳥居で有名な神社で、
津和野七代藩主の亀井矩貞(のりさだ)が領内の安泰を願い、
京都・伏見稲荷の神を招いて創建したもので山の中腹にあります。
全国四万社あるお稲荷さんの中で、
「稲成」と書くのは、ここだけと珍しいです。

今回は、初詣でしたが、お社をバックにして「初詣SL」で初撮りでした。
なお、元旦は、9号線にある目印の大鳥居から太皷谷稲成神社の駐車場まで約2㌔強ですが、
今回は大渋滞でゆっくり津和野を散策出来ませんでした。

交通規制で萩に抜ける道を案内されましたが、
途中路面凍結のためあきらめ、
交通規制を回避して山の中腹を走る9号線で抜けて走りました。

2006/01/12//Thu.
四天王寺
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大阪の仏壇と呼ばれ、593年に聖徳太子が建立した日本仏法最初の官寺で、和宗の総本山です。
伽藍配置は、南大門・中門・塔・金堂・講堂が一直線上に並びその建物を囲むように建っており「四天王寺式配置」として日本で一番古い建築様式です。
古代、四天王寺は、東アジア交流の拠点となったお寺で建築様式などの大陸文化が現在も見られ、政治の中心、日本文化の発祥の地だったことを偲ばせます。
四天王寺ワッソでは、大陸文化伝来を今に伝えるお祭りです。
偶然出掛けた際に、六時堂前庭「亀の池」の石舞台で四天王寺舞楽(重要無形民俗文化財)を見た時は、カメラを忘れて見入ってしまいました。
最後の画像は、四天王寺ワッソのイベント紹介を撮影しています。
(撮影は、国立民族学博物館前です。)

2006/01/05//Thu.
大坂城
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明応5年(1496年)の秋に蓮如上人が、大阪城付近に一宇の坊舎を営み、これが大坂本願寺(石山本願寺)となりました。天下の統一をめざす織田信長により天正8年(1580)に陥落し、信長の後を継いだ豊臣秀吉がこの「大坂」に天正11年(1583)豪壮な城郭を完成させました。
 その後、難攻不落の城と呼ばれた大坂城は、慶長20年(1615)、大坂夏の陣で全焼してしまいました。
徳川2代将軍秀忠は、秀吉時代の石垣の上にさらに大規模な築城をしましたが、落雷で焼失しました。
昭和6年(1931)、大阪市民の力により再建しました。
しかし、太平洋戦争では、城内に軍事関連施設があり激しい爆撃にさらされて、天守閣以外焼けてしまいました。
そこで1948年には、史跡公園として再開し、1997年、震度7の地震に耐えられる平成の大改修が行われました。
 大阪城は、桜や梅など四季の花が楽しめますが、特に好きなものは、「ライトアップされた大阪城」です。
「大阪のシンボル」として今夜も素敵に輝いています。何時までも輝いていて欲しいです。
華やかな天守閣への近くに、ひっそりと石碑があります。「豊臣秀頼・淀君が自刀の地」や石山本願寺跡などです。
ビジネスパークのビル群を見つめながら幽けし姿で、戦国時代を語りかけてくれます。

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